人の役割、引き継がれる役割

人の役割、引き継がれる役割

人にはそれぞれ役割が存在すると言われています。
ある人はビジネス、ある人はスポーツ、ある人は文学など他にもたくさんあります。その世界で、特別な才能を開花させて、社会や文化によい影響を与えています。
その他にも、料理や掃除、言葉では細かすぎて伝えきれない部分での役割も存在します。
例えば、スケジュール管理がうまいとか、記憶が良いので他人が忘れたことを教えてあげられるとか。

人の役割

役に立つことが役割ではなく、役に立たないこと、あってもなくても良さそうなことに対しても役割が存在します。
例えば、自動車のブレーキには、遊びと呼ばれる若干の余裕とみられるブレーキ作用が働かない空間というか隙間というかブレーキをちょっとだけ踏んでもブレーキが作用しないようになっています。
 なぜこのような遊びが存在するのかというと、運転中にちょっとだけでも足がブレーキペダルに触れてしまいブレーキがかかってしまうと、自動車が急に減速し、自動車の流れに支障が発生してしまうこともあります。また、ブレーキをかけるつもりはなくても、ちょっとブレーキペダルに足をのせることもあり、このときに、ブレーキの遊びがないとすぐにブレーキが作用してしまって、ブレーキをかけるつもりがないのにブレーキがかかってしまうことになります。
 つまり、ブレーキの遊びは、一見なにも作用が発生しないにもかかわらず、その役割は非常に重要になっています。

人についても同様です。
秀でた才能を持つ人だけが役割を持っているのではありません。いわゆる凡人、普通の人たちにも同様の役割が存在します。秀でた才能と呼ばれる人といえば、天才とか偉大な発見をした人たちです。そのような人たちの役割はすぐにわかります。このようにすぐに役割がわかる人たちばかりではありません。一般の人たちはどのような役割を持っているのかは、他人にはわかりません。
しかし、その役割は、注意してみるとそれぞれが穴埋めをするように重なり合ったり影響を受けたり、与えたりもしています。

自分の身近な例では、実家の父親のところに、父の弟(私からみればおじさん)がよく畑の手入れの手伝ってくれて農作業の手伝いをしにきてくれます。
父親だけでは人手が足りないからです。そのため、おじさんは父の手伝いをしてくれます。
私も週末だけ手伝う時間があれば手伝うようにしています。
このようにおじさんと私は、父の手伝いをするという役割を持っています。

この農作業の手伝いはわかりやすい役割です。他にも目に見えない役割や役割と感じられないような小さな役割も存在することでしょう。

例えば、ニートや引きこもった子供の食事を母親が作ってあげることも役割でしょう。
母親は食事を作る役割を持ち、ニートや引きこもりの人は母親に作ってもらった食事を食べる役割を持ちます。食事を作るだけ、食べるだけで役割とは言い難いですが、母親は子供のために食事を作ります。子供は母親が作ってくれる食事を当然と思って、ほぼ有り難みを感じずに食べることでしょう。

・会社での役割

仕事が遅いとかミスを連発する人がいます。ではこのような人を怒ったり、役に立たない人だと思ったり、すぐに首にしたいと思いがちですが、果たしてその部署や会社の考え方として正しいのでしょうか?

仕事が遅いとかミスを連発する人にも役割があると思います。
仕事が遅い人の場合は、どうすれば効率よく仕事が進むかを教えれば良いですし、新入社員が入社した場合の指導方法に仕事が遅い社員の対策として追加することができます。すべての社員が仕事が早く終わるわけではありません。人手不足のとき、中小企業は優秀な人材を得るのは容易ではなく、どうしても希望する人材を得られない事があります。そのようなときにちょっとした指導や教育を施すことで、希望する人材へ近づけることができるかもしれないのです。またミスを連発する場合は、再発防止策を一緒に考えればよいのです。
 なぜミスを連発するのか?
 手順に間違いはないのか?作業手順書に間違いや誤解となりそうな箇所がないのか?手順書の記載に誤記がないのかなどを見直す必要があります。効率よく作業する人やミスをしない人は作業手順書に間違いや誤解の起きそうな箇所を過去の経験や予測から回避をします。しかし、仕事が遅い人やミスを連発する人は、作業手順書をそのまま解釈して注意を怠らずに作業を進めたり、手順を飛ばしたりしてミスを起したり、迷いすぎて人に聞けずになかなか先へ進まないことがあります。

 このように、仕事が遅い、ミスを連発する人はその役割を担いつつ、その仕事に対しての警笛、警告、注意を周囲に促しているとみなせばよいのです。仕事が遅いけど、しっかりした業務を遂行する人には几帳面で確実にこなせる仕事を与えれば良いですし、ミスを連発する人はミスを連発しても後でカバーできる業務に配属替えをしても良いはずです。でもミスを連発する人はどのような部署でもミスを犯しやすいので周囲の人が適度に注意してあげる必要もあります。我々はこのようにお互いを助け合うのです。ミスをする人を助ける役割を担う人もいます。この人はミスをする人が存在しなければその役割を演じられません。つまりそれぞれが役割を受け持っていて、会社の業務を遂行しています。
 能力の高い人ばかりを集めた部署やプロジェクトは一概に成功しやすいと思われがちですが、結局のところ人間関係がギクシャクしてしまい、新規商品の開発やプロジェクトは順調に進まないことが多いそうです。女性向けの商品を開発するのに、女性の社員だけを集めて商品プロジェクトを開発しても結局のところヒット商品ができないのと同じです。女性だけの発想と完成すべき未来のヒット商品が、実際のコストと市場の要望にマッチしないのです。女性ばかりだとどうしても希望や要望ばかりが先行し、コスト、商品の製造過程、販売ルート戦略などに偏りが生じてしまい全体としてのプロジェクト管理ができないことが多いからです。
これは男性ばかりのプロジェクトでも同じで、イケイケドンドンで勧めてしまい女性のニーズに合わない商品だけが作られてしまいます。
適度に役割分担を男女の社員に与えることで、それぞれの特性や得意分野が発揮されて、ヒット商品が生まれてくるはずです。

つまり、役割が演じられず相互に不具合が発生するからでしょう。
能力の高い人と平凡な人、そしてちょっと仕事が遅い人などが集まることで相互に影響を与えそれぞれが役割を演じることでその部署やプロジェクトが円滑に動きだします。

例えが飛躍しますが、漫画のこち亀に日暮というキャラクターが登場します。日暮は4年に一度しか目を覚まさず、その日以外はずっと冬眠をしています。しかし、いざ目が覚めると難事件を解決します。だからこそ彼は警察官を首にならずに、ずっと寝ていられます。両津自体が問題児でありいつ警察官を首になっても良さそうですが、彼はときに事件を解決しますし、同僚や部下の面倒も見ることができます。彼は問題児という役割を演じていて、彼を指導できるのは上司の大原部長か署長くらいです。
また、釣りバカ日誌の主人公は釣りのことばかり考えて、会社では役に立っていないように見えますが、彼の人格が周囲に影響を与え、彼みたいな人物が首にならないのだから他の人達は多少失敗したりしても首にならないし、休暇を取得しても誰も文句を言わないな、と思わせることで他の人達の気持ちは少しストレスが軽減されます。
多少の問題児が会社には必要なのです。これもその問題児が役割を演じているのです。

・引き継がれる役割

極端な例ですが、もし、ニートや引きこもりの人たちの母親が亡くなったら彼らはどうするのでしょうか?当然腹が空けば、食べ物を食べる必要があります。お金があれば近所のコンビニにお弁当やカップラーメンを買いに行けば良いでしょう。

でも、働いておらず貯金もないニートや引きこもりの人たちの場合はすぐに使えるお金が無いかも知れません。そこから彼らは働く必要がでてきます。

両親が元気で健在であれば両親の保護のもとに生きていけますが、両親が亡くなればニートや引きこもりの人たちを養う役割が消えてしまいます。そうなると今度は、ニートや引きこもりの人たちは新しい役割を持つことになります。
今までは、母親に作ってもらった食事を食べる役割だったのが、自分で自分の食事の面倒をみる役割を新しく持つことになります。
また、生活保護を受けていなければ、更に働くという役割を持つのかもしれません。
おそらくニートや引きこもりの期間が長い人ほど、新しい役割や環境に馴染むのに時間がかかったり精神的な苦痛やストレスは大きなものとなるでしょう。

もし、両親が健在のときに、自分で食事の面倒をみる役割と働く役割を持っていたら、その精神的な苦痛とストレスはずっと改善されて、新しい役割をすんなりと受け入れられることでしょう。

また、このような役割はすぐに引き継がれるわけではないようです。
私の例で言えば、
数年ほどかかって役割を担っているように感じました。
数年前に亡くなってしまった私のおばは綺麗好きで整理好きでした。おばの弟である父は整理をしたことは殆どありません。私が子供の頃は、私も父と同様に整理をしたことは殆どありません。私の母親は整理はしますが整理好きではなく、気が向いたら整理する程度で、私の家庭の物の管理はどこに何があるかを毎回探すことから始まります。
そのような状態をおばがよく整理をしてくれていました。

しかし、その叔母は早くに他界し誰も整理をする人がいませんでした。
その後、その整理をする役割を、父の弟の叔父と私が引き受けるようになりました。
一見、高齢者の面倒を見るのが当然と考えがちですが、単純に面倒を見るというだけではその状況が収められないと思います。

ある程度意思を持つか、そのような状況を受け入れざるを得ない状況が必要のようです。
私の場合は、母親も他界し、親と週末を過ごすために散らかったリビングや冷蔵庫の中の腐った食材を捨てることから始まりました。最初のうちは、掃除をするように父親に進言しましたが無駄でした。
結局自分でリビングに散乱する洗濯物や新聞紙やゴミを片付け、冷蔵庫の賞味期限切れの食材や腐った果物や野菜を捨てます。
これらのことは、そのままにしておいて父親にやらせることもできるでしょうけど、言っておいてもきっとそのままになってしまいます。結局、自分で捨てたり掃除したりするほうが楽であり、結局父親にとっても私や叔父にとっても、掃除をしたほうがお互い面倒なことにならず、きれいな環境になります。

私は従来から綺麗好きでも掃除好きでもありません。かつて掃除や整理整頓をしてくれたおばはもういません。
掃除をしてくれたおばの影響を受けて、私がその役割を受けて掃除をするようになっている気がしました。

もし、母親が生きていたらその役割を母親が引き継いでいたのかも知れません。

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