ドラえもん  36巻感想 (昭和61年)4月25日発行 藤子・F・不二雄先生

ドラえもん  36巻感想 (昭和61年)4月25日発行 藤子・F・不二雄先生

 きれいなジャイアンの話の巻である「きこりの泉」回。
 天つき地蔵は、なんとなく、昔話が、宇宙人やタイムマシンに乗ってやってきた未来人による影響を受けて語り告げられたような印象を受ける。ビー玉は、ガラスがまだ西洋から伝えられていなければ、宝石であろうし、お菓子も、高級料理である。





 ドラえもんのマンガの絵を改めて、背景をよく観察すると、非常によく細かいところも描かれている。
たとえば、家の部屋のドア、ふすまの下のところの段差。
家々の軒下やガラス窓。などである。

さらに、登場人物の登場から、キャラクターの配置、そして、去っていく登場人物のカメラワーク。
たとえば、はじめは、のび太の登場。そして、ジャイアンやスネ夫がいある。3人がコマに収まる。 そして、のび太が逃げる。それを追うジャイアントスネ夫。 右から登場するのび太が、中央にいて、そして、左の方向へ逃げる。観ている方は、そのままの視野に入った感覚でイメージできる。
無意識のうちに、登場人物の配置が把握できる。
こういった配置を、実際にマンガにしようとすると、意識しないとなかなか難しい。  カメラワークそのものを考えずに、キャラクターがあっちこっちに登場し、いったい誰がどこにいるのか、今はどんなシーンなのか、よくわからないマンガになる。  あらためて、ドラえもんや漫画家の能力に圧倒される。
読んでいて違和感のないカメラワークは、テレビや映画で用いられているカメラワークそのもの。
子供向けマンガであるにかかわらず、丁寧なマンガの書き方が、誰が読んでも理解できる内容となっていると今なお感心する。
一部に藤子不二雄先生が、直接書いていないと思われる回がある。明らかに、前後のほかの話の画風と異なる。 それとも、ほかの回もアシスタントが書くようになっているのかしら。

以上