李氏八極拳の創始者、神槍李書文の物語、絶招・猛虎硬爬山もうここうはざん

拳児21巻 少年サンデーコミック

若き日の李氏八極拳の李書文のストーリー。
水滸伝で有名な林冲(りんちゅう)が流刑となった土地、中華人民共和国の河北省滄州市は武術の郷とよばれる。 また、河北省には楼桑村があり、三国志の劉備の故郷で、桃園の誓いでも有名。

 関連神槍・李書文の八極拳 合気道の神 塩田剛三 武術動画

以下、ネタバレを含むあらすじと感想

(1)李書文武術に目覚める

 李書文が武術を学び始めたときに、けんかに巻き込まれた。 李書文は、まだ八極拳を習得しておらず、弱く、こてんぱんにされた。 負けた李書文は、復讐するために、練習に励んだ。毎日周囲に、震脚の音が聞こえた。

師匠である黄四海が心配して李書文の元に訪れる。

 八極拳の系統には、回族の孟村呉家と漢族の羅瞳張家があった。  張家八極拳の祖、張克明の弟子が黄四海である。 張家の他に、金家、丁家、強家、曹家、李家があった。

李書文は、八極門の名を辱めてしまったことに対して、申し訳なく思い、 復讐して汚名を晴らすつもりでいた。

黄四海は、李書文が、まだ、絶招の単操手から兵器は六合大槍を修めておらず、正式な 八極拳士ではないので、気にする必要はないと、慰める。

24種の絶招があり、その中の代表的な8種を八大招式という。

しかし、李書文は、復讐したしたくてたまらない。どうしても絶招を知りたいがために、 他の門派の伝承者と無理矢理戦い、絶招・猛虎硬爬山もうここうはざんを知る。

そして、とうとう、復讐をはたした。

しかし、滄州城内で、他の門派と諍いを起こしたため、謹慎となっていた。 ようやく、武術の見学だけは認められた李書文は、他の同輩たちが行う槍の練習を眺めていた。

 道場では見学しかできないために、自宅で槍の練習をした。 その後、黄四海から練習に加わることを許可されるが、つまらない型を学ぶことを拒否する。

 師の教えに背く李書文に対して怒った黄四海は、再び謹慎を申しつける。

その後、同門の友人が、李書文を心配して、訪問する。 友人は、李書文と黄四海との仲介を申し出るが、拒否する李書文。

 そして、李書文と友人とが槍で、試合をする。 基本的な槍の型しか知らない李書文であるが、圧倒的な槍の技量の差で、負ける友人。

 李書文の槍技の前に、友人は、手も足も出なかった。

その後、李書文は、神槍争李書文と呼ばれる武術家になる。

まさに、多くの技を身につけるより、他者に劣らない一つの技を身につける方がよい例である。

(2)拳児の師、劉月侠の若き日の物語

晩年に近い李書文、李書文最後の弟子と呼ばれる劉月侠。

若い劉月侠は、李書文から八極拳を学んでいた。 小八極と金剛八式のみを5年ひたすら励んでいた。

しかし、同じ型だけを毎日やらされたのではつまらない。 そこで、李書文に実戦用の闘練を教えてほしいと請う。

まだ、実戦は早いと感じた李書文ではあるが、 しかたなく組み手をする李書文。

しかし、全く相手にならない。

そこで李書文は、形意拳の郭雲深の話を聞かせる。

郭雲深は、「半歩崩拳、あまねく天下を打つ」といわれるほど強かった。

あるとき、郭雲深は、他流試合で、対戦相手を殺した罪で3年間牢獄に送られた。 両手両足を枷によって縛られていたので、大きな動作はできなかったが、たった一つの技で、ひたすら武術の練習に励んだ。

そして、3年間一つの技だけひたすら練習し、 形意拳の技の一つ虎形拳の虎撲子をあみ出した。

出所後、待ち伏せをしていた以前殺した男の仲間に襲われる。 3年間、過酷な環境の中にいた、弱々しい郭雲深であるが、虎撲子によって、あっさり倒してしまった。

「千招を知るものを怖れず一招に熟練するものを怖れよ」

(3)李書文 格闘伝説1

 李書文は、北京の王海通という5省拳王と呼ばれる男から挑戦状を受けた。 李書文が王海通の元に出向き、他流試合を始めた。

李書文が軽く相手の懐に拳を当てたところ、相手は、ごろんと倒れてしまった。

 周りの人間も李書文も相手がどうなったかわからず、劉月侠が相手の容態を調べると、すでに息絶えていた。

このときから、李書文は、 「李書文に二の打ちいらず、一つ打てば事足りる」 と歌にまでうたわれることになったという。

話半分ということもあるが、それだけ、拳力が凄かったのだろう。

(4)李書文 格闘伝説2

また、李書文は、天津の河北公園で、八極拳を教えていた。 ある日、李書文が用事で数日外出していたとき、他の門派が八極門の門下生をからかってきた。  石頭牛と呼ばれる牛大宏であった。 牛大宏は、門下生を投げ飛ばし、門下生は、頭にけがを負った。

李書文が外出から戻ったが、門下生は、いざこざについて報告をしなかった。

李書文は、牛大宏が門下生にけがを負わせたことをすでに知っており、牛大宏に仕返しにいった。

李書文の一撃で、牛大宏は、七孔噴血(両目、鼻孔2つ、口、両耳)して絶命したという実話である。


(5)八極拳開祖伝説

八極拳の祖とされる呉鍾ごしょう。
河北省滄州地区孟村回族自治県の出身。回教とはイスラム教のことである。また、イスラム教徒のことを回族とも呼ぶらしい。

若き日の呉鍾は、旅の僧より10年武術を学ぶ。 そして、2年後、新たに、前の僧の弟子という僧が呉鍾の元に現れ、槍を教えた。 その後、二人は、武術の腕を試すために旅に出る。

呉鍾の武術の技は、北京の武術家を相手にしないほど、強かった。 呉鍾は、槍の名人と呼ばれる王允題と試合する。 呉鍾の槍の技に圧倒された王は、槍の教えを請うようになる。

その後、呉鍾は、神槍呉鍾と呼ばれるようになる。 そして、八極拳では、槍術(六合大槍)を含めて、習得するようになる。

(6)拳王の最後 (李書文の最後)

 李書文と劉月侠は、ある軍の将軍の客人として、停留していた。  将軍は、劉月侠の武術の能力と若さを見込み、劉月侠を軍に入れたいと李書文に頼み込む。  李書文は、劉月侠が軍に入りたいならと許可する。

 その後、劉月侠と分かれた李書文は、怒りっぽくなり、武術の鍛錬にはげむ。 しかし、李書文の性格が災いしてか、将軍の兵隊達といざこざを起こしてしまう。

 このままでは、さらに問題が起こって取り返しがつかないと感じた将軍は、李書文を丁重に追い出すことにした。

 途中の駅で下車した李書文。たまたま、休憩した先で、見ず知らずの人間が、有名な李書文にお茶をごちそうしたいとお茶を差し出す。しかし、お茶を差し出した相手は、お茶の中に毒を入れ李書文を殺すつもりだった。

 この人物は、以前李書文が他流試合で誤って絶命させてしまった武術家の親族と推定される。  武術では李書文にかなわないと知り、飲み物に毒を入れ、李書文にそれとなく飲ませた。  毒と気づいたときには、遅かった。

 結果的に、拳の腕が災いし、李書文は、毒殺されてしまう。

以上